HOME > 法律コラム > 坂上忍さんブチ切れ!和泉節子さんの「嫁の腹は借り腹」発言を戸籍制度から振り返る
今月18日放送のフジテレビで放送された「ノンストップ」にて和泉節子さんが「嫁の腹は借り腹」と発言。
番組では「夫婦が夏休みに、初孫を旦那側の実家と嫁側の実家のどちらを優先させるか」について和泉節子さんが絶対に旦那側の実家に連れて行くべきだと主張。
これに対して、坂上忍さんが「旦那のほうが先じゃないとダメなんですか?」と聞くと、和泉節子さんは「絶対にダメ。嫁に貰っていただいたんだから」と返答。
「貰って頂いた」という表現に「モノじゃないんだから」と坂上忍さんがぶちギレ!
更に和泉さんは「どっちの孫?お母さんのお腹は借り腹っていうでしょ」と発言し、更に議論は大炎上。
今回は「嫁の腹は借り腹」について、戸籍制度とその歴史から紐解くような形でコラムを提供していただきました。
和泉節子さんがゲスト討論の最中に放った「嫁の腹は借り腹」発言。
先の東京都議会でのセクハラヤジ騒動よりも、言葉のみを切り取れば生々しい言葉だと感じるのである。
だが、発言者が女性であることや、本人にも嫁としての経験があり、メディアにおいて姑色を前面に出したキャラであるということ、それらの条件によりセクハラとはみなされず、あくまで本人の思想というところに留まっている。(発言した場所も、議会とバラエティ寄りの報道番組とは、全く異なるものではあるのだが)
前置きが長くなってしまったが、本編の狙いは「嫁の腹は借り腹」なのかを、法律的な根拠をもとに考察していく事である。それというのも、この手の話題は主観的な意見が飛び交うことが避けられないからである。だが極端に法律論のみをふりかざした机上の空論にはならぬよう、そちらにも十分注意して話をすすめたい。
ではまず、家族関係を法律として総括する戸籍制度の中で、戸籍の編成単位の変化にのみ着眼し、表にまとめてみた。
表から見てとれるように、戸籍の編成単位が夫婦として定められたのは、つい最近の事ではないのである。簡潔に言うと法律的に考えて見た時、嫁の腹は借り腹ではない。同時に生まれた子供も、成人するまでは親の責任下にあるといえど、その子の人生はその子のものである。
更に、倫理的に考察していくと、人が人を所有物として認識することは、非常に差別的な考えであるともいえる。
人というのは一人ひとりかけがえのない、唯一無二の存在として尊重されるべきであるのだ。だが歴史の中で、常に人の上に立つことばかりを優先していた人々による自己利益の追求により、最悪の結果として戦争が起こった。ごく一部の人の利益獲得のために、数多くの命が失われた事実は決して消すことが出来ない。だが本来、人間関係とは、人間の質により形成され、人を敬うことにより表面化される。多くの人が、他者とのファーストコンタクトの際に、自らをへりくだり、相手を尊敬する、という態度をとることが象徴的である。
ところで、筆者はかなり封建的で古風な考えの持ち主であり、「母は賢く、嫁は優しく、妻はたくましく、女は可愛らしくあれ」を信条としている。
姑は女性の先輩として、多くの経験の中で嫁を導いてあげることもいいではないか。対して、嫁も愛する夫を育ててくれた姑に対し、いつもより優しく声をかけてみてもいいかもしれない。
日本語には謙譲語という語法もある。自己主張より、まずは他者寛容を念頭に、まず一週間行動してみてはいかがだろうか。