HOME > 法律コラム > 逃げ場が無く身体的にも劣る子供を虐待死させたら殺人じゃないの?どうして傷害致死?
急増する児童虐待。
平成2年度から23年連続で増加し続けており、ニュースでも度々取り上げられています。
【2005年〜2010年での児童虐待死亡事件の加害者の詳細】
男性:110人(実父61、養父・継父18、内縁23、その他8)
女性:151人(実母142、養母・継母3、内縁1、その他5)
【2005年〜2010年での児童虐待死亡事件の罪種別件数】
男性:殺人25、傷害致死65、その他20
女性:殺人80、傷害致死41、その他30
虐待死亡事件の8割弱が実の親によるものですが、そのうち殺人と傷害致死はそれぞれ約4割でした。
殺意があれば殺人、殺意がなければ傷害致死となりますが、逃げ場が無く、身体的にも劣る子供に殴る蹴るなどの暴行を続け亡くなった場合、なぜ殺人と認定されないのでしょうか。
この問題について駒津彩果弁護士に話を聞いてみました。
殺意は、内心の問題ではありますが、人の内心は外部からわかりませんので、客観的な行為から認定していくことになります。
殺意の有無の判断は、創傷の部位・程度、凶器の種類・用法、犯行の動機、犯行後の事情などの要素を総合的に考慮して行います。
例えば、手足ではなく、心臓付近や首、腹部などの体の枢要部に傷があれば、殺意を認定する方向に働きます。その傷も、浅い傷なのか、それとも深い傷なのかを見て、深ければそれだけ殺意を認定する方向へ傾きます。
素手よりも、包丁など殺傷能力の高い道具を使って行った方が、殺意はより認定されやすくなります。
その他にも、殺害の動機があるか、犯行後に救命措置を行っているなどの事情があるか(救命措置を施していれば、殺意がない方向へ傾きます)など、客観的な事情を総合考慮して考えます。
その結果、その行為を行えば相手が死ぬであろうことは当然わかったはずなのに、あえてその行為を行った、と言える場合に、殺意が認められることになります。
未必的殺意は、これをやったらもしかしたら死んでしまうかもしれないと思いつつ、「死んでも構わないと思って、その行為を行った場合に認められます。
児童虐待で殺意が認定できないケースが少なくないのは、死なない程度の暴行が日常的に行われているという点にあるかと思います。
一度にものすごく強い暴行を加えるのではなく、死なない程度の暴力を繰り返し、そのうちに死亡してしまうというケースの場合、「今回もこの程度の暴行では死なないだろう」と考えたとしてもやむを得ないと判断されてしまうのです。
その結果、「死んでも構わない」と思ったとまでは認定できず、未必的殺意も認定できないケースが多いのではないでしょうか。
ただ、日常的に暴行を行っていた場合でも、客観的に見て、その暴行を加えれば当然に死んでしまうことがわかるだろう、と言えるケースでは、殺意が認定されることになります。